2011年。聾唖障害をテーマに扱った漫画『聲の形』

2016年には映画化され、漫画との違いを書いていきます。

 

映画『聲の形』

 

 

 

 

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聲の形
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聲の形 あらすじ

が足りない。死ぬためのが」

 

主人公・石田将也は日々の退屈をしのぐために
無茶ばかりをするお調子者”だった”。

 

ある日、先天的に聴覚障害を持つ西宮硝子が将也の通う学校にやってくる。

 

硝子はクラスメイトたちのサポートを受けていたものの、
徐々に煙たがれるようになっていき、

 

完全に孤立してしまう。

 

そんな硝子を見て将也は聴覚障害をネタにからかうようになり、
同調したクラスメイトから諌められるものの、

 

後にイジメ問題に発展するようになる。

 

イジメの元凶として逆にイジメられるようになった将也は、
硝子が自分を守り、歩み寄ろうとしてくれていたことに気付く。

 

そして6年。
高校3年生になった将也は

死ぬために硝子の元を訪ねるのだった。

 

※フク個人が作成

 

 

映画『聲の形』の感想

原作漫画を読んで、

 

 

映画を見て、

 

 

原作を読んで、を繰り返すと

 

 

互いに補完し合っている造りになっています。

もちろんどちらか一方でもストーリーは分かりますが、

心に込みあがるものが違います。

 

 

 

例えば漫画では植野は割と早い段階で硝子を敵視しているのですが、

映画では出会った当初はきっちり面倒見ているということですね。

ノートを取ったり、気を使ったり、一緒に遊んだりもしています。

 

 

 

この描写は漫画にもあるのですが、

植野のピーキーな性格が前面に出すぎているため、

本当は面倒見がいい姉御肌的な部分があまり描かれてはいません。

 

 

 

担任の竹内先生も

漫画だと冷徹なサイボーグのような印象が強いのですが、

単なる厳格な先生というような雰囲気を出しています。

(というか、あの教師不適格な描写を出したらかなりまずい)

 

 

 

将也の硝子への気遣いしているシーンも垣間見ることができます。

「もう少しうまくやらねーとウザがられちまうぞ」

1巻で、1コマだけで、本当にあっさりと終わってしまうシーンなのですが、

将也にはやさしい面があるということを感じさせます。

 

 

 

また、筆談ノートに関してはこれは映画のほうがよかったです。

原作では内容までは分かりませんでしたが、

硝子の気持ちが痛いほどよく表れています。

植野が指摘した硝子の『ごめんなさい』の口癖。

 

 

 

原作では描写が少ないのですが、

硝子は本当は空気を読んでおり、読むために筆談ノートを使う。

でもそれが皆の負担になる。

手話を覚える件も同じです。

 

 

 

負担になるのが申し訳ないんですよ。

 

 

 

それでも、学校では人と接しなくてはならない。

 

 

 

まして、伝えるのも一苦労が必要な硝子。

原作の植野が求めているレベル(人と話すこと)を

硝子には荷が重いです。

 

 

 

なにせ、解り合おうとする時点で負担をかけるのですから。

 

 

 

後の印象的な描写は

硝子と将也の取っ組み合いの喧嘩。

 

 

 

ここも情緒あふれる形で表現されており、

2人の憤り、本音がぶつかり合うシーンになっています。

 

 

 

『ほええも、かんぱってる!(これでも、頑張ってる!)』

 

 

 

筆談ノート、周囲への負担の件も絡み合って、硝子が叫ぶのですが、

聾唖障害者特有の発音により、将也には伝わらない…。

 

 

 

このほか、

原作では表現しきれなかった心の機微、

感情の動きがあります。

 

 

 

硝子が補聴器を外して、やはり聞こえないという事実に悔しがる姿。

 

 

 

やはり『聲の形』は映画も原作も両方を見ることをお勧めします、

 

 

 

聲の形 原作の漫画と映画の違いはどこ?

 

映画の尺としては仕方ないかもしれません。

あくまで将也と硝子が主役ですので。

植野や川井らが抱えている闇を入れてしまうと尺が足りません。

 

 

 

なので、これに関連するイベントはカット、

あるいは、マイルドに包まれて進行します。

 

 

 

例えば、イジメのシーン。

確かにほぼ将也がイジメをやっている感はあり、

原作では主犯植野や川井、島田、広瀬は笑って同調しているという描写になっています。

⇒あくまで将也がイジメたという事実を印象付けるのが必要なため。

 

 

遊園地の島田との再会イベント、

⇒植野の挑戦的な意味合いが強いため。本編とは関係がない。

 

 

橋の上での暴言イベントのセリフ変更

⇒原作のセリフがえげつないというのもありますが、

映画のストーリーに合わせているため、変更も仕方ありません。

 

 

真柴が普通の人間になってる。

⇒原作では闇そのものを抱えてるのですが、

第三者視点で将也たちを見ているだけです。

 

 

 

ビッグフレンドNこと永塚が最高の友達になってる。

⇒永塚の虚栄イベントは彼ならではのイベントなので、

本編にはいりません。

 

 

最も盛り上がる映画制作イベントも同じです。

漫画は将也と硝子を中心とした10代の子供たちのの聲の形の物語ですが、

映画は将也と硝子2人の聲の形の物語です。

この映画製作イベントのメインは将也と硝子以外のメンバーたちです。

 

 

 

映画を酷評したコメンテーターの言う通り、

植野、佐原、川井、永塚、真柴が抱えているものに対するものメインだからです。

このシーンはかなり考察のし甲斐があるシーンです。

自分と、向き合った者と、向き合っていなかった者の差がよく表れています。

植野、佐原は自分の欠点と向き合っているため、憤慨し、

川井、永塚、真柴は自分と向き合っていないため、項垂れます。

 

 

 

 

ほかにも細かな点はありますが、

原作と映画の違いはこんな感じです。

 

 

 

 

 

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